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最終修正日:1997年9月19日
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北京!

私たちはヨレヨレ状態で北京についた。こんな状態ですぐ観光に行けるものだろうか? 参加者の顔を一渡り見た添乗員さんは(見なくてもわかっただろうが)、一旦ホテルで休息した後観光に出かけるという提案をした。「そのかわり、観光の時間は短くなってしまいますが」と。提案が皆に一も二もなく受け入れられたのは、言うまでもない。メンバーは半分死んだような状態であった。

暖かいホテルでしばしの休息をとり、みごとに復活した私たちは、柴禁城の見学に出かけた。柴禁城は一つの町と言ってもよいほどの大規模な城で、一通り見ようとするだけでも何日もかかるそうである。休憩のため見学時間が少なくなってしまったのは残念だが、やはりとても見たかった場所である。

「ここで小さい溥儀が出てきて、臣下がザッと跪いたよね」
とか
「ここって、溥儀がお母さんを追って走ってた通路だよね」
とか
「あの玉座に虫がいるんだよね」
などと、「ラストエンペラー」を見ていないと通じない話をしながら(でも皆見ているのです)、見学する。とにかく広い。「また来て、今度はじっくり見るぞ」と決意した。

china24.jpg柴禁城の玉座

ところで、広いと言えば天安門広場もとてつもなく広い。中国のニュースが流れると、必ずといっていいほどテレビに顔を現す天安門広場といえば、毛沢東の額縁が掛かっている姿を思い出される方が多いであろう。その額縁の掛かっているのとは逆側の広場入り口で、添乗員さんに自由時間30分と言い渡された私たちは、一斉にブーイングした。「こんな(寒い)広場で30分もどうやって時間をつぶせというのか」ということである。が、とりあえず広場の向こう側まで歩いてみることにした。歩き始めると、毛沢東が全く近づいてこない。これは、思ったより広いのでは? 天安門広場は開けた、何があるというでもない広場なので、どれくらいの広さがあるのか一見しただけではわからない。遠ねぇ、と言いながらやっとあちら側にたどり着く。そこには柵があり、毛沢東の絵まではさらに距離があったのだ。30分にブーイングした私たちはたっぷりその時間を使い切ってバスへ戻った。

china25.jpg天安門広場

翌日は北京郊外のハイライト、万里の長城である。あまりにも有名なこの防護壁は、しかし、たとえそれがなくても異民族をくい止めるには十分と思われる険しい山の頂に沿って建てられている。そういう場所に長い堅牢な壁を作り上げたことよりも、逆に、これほどの山があってもさらに長城を築かなければならないと思わせた匈奴の方に感嘆してしまうのである。

万里の長城を登るには2コースあり、若者コースとそれ以外が分かれている。もちろん私と友人は若者コースを選んだ(だって若者ですもの)。見ると、中年の参加者の何人かもこちらに登ってくる。元気だなぁと思いながら、歩を進める。さすが若者コースだ、すごい傾斜。一歩一歩努力しなければ、足が前へ進んでくれない。やっと一山越えても、その先にまた急斜面の坂が現れる。行っても行っても、その繰り返しである。山の上に立っているため、寒風も強く耳が痛くなる。

降りてきたところで、卒業旅行で来ている二人の大学生に会った。
「若者コースはもう坂がほとんど直角で、大変でした」
という発言を聞いて、「え?」となった。今まで私たちが登っていたのって、若者コースじゃなかったんだろうか? そう、彼女たちの登った方が正真正銘の若者コース、私たちのは老人コースだったのだ! それにしては急傾斜だった。誰もが若者コースと信じて疑わないほどの老人コースって...

china27.jpg万里の長城


大阪人よ永遠なれ

この旅にはリピーターが多かったのであるが、大阪人の占める割合も多かった。

友誼商店では基本的に値引き交渉ができる(北京の友誼商店は除く。ここは品質を保証する代わり、ねぎれない)のだが、この旅で大阪人の値切り術を目の当たりにし、非常に感銘を受けた。ひとつ手本にしてやってみようと思ったのだが、やはり「値切りは1日にしてならず」であった。もし大阪に移住しても生存競争に勝つ自信を完全になくした(もともと持っていたわけでもないが)。

年代の違う人との旅というのも面白い。若い人は知らないことをたくさんご存知だし、地域が違うとさらに楽しいものがある。

貨幣価値

中国の物価はかなり安い。最初はものを買うときに、日本と比べてそのあまりの安さに値切らず買ってしまう。その値段は実は、中国の物価から言うとかなり高いものであるが、その物価を把握できるのは旅がかなり進んだ時点である。4〜5日の短期旅行では、把握できた頃にはもう帰国しなければならない。

あるとき、焼き芋を買おうとした。ツアーの中で買った人がいて、何ともおいしそうなのである。きいたら値段も安かった。その人よりはちょっと小振りの芋を選び、値段を聞くとだいぶ高い。私たちは値切った。もちろん中国語ができないので、指文字である。ところがどうもうまくいかない。しかたなくエスコート役の中国人女性にSOSを出すと、その値段は元の下の単位であったのだ(当時1元≒22円)。ずっと元が単位と思って値切っていたのだが、実はかなり安い値段であった。日本では焼き芋は結構高価な品なのであるが(一本数百円する)、中国では数円のオーダーなのだ。

旅の最後に残った少額のお金すべてを使って、おみやげ用のお菓子を買い込んだ。日本円に再両替してもどうにもならない額なのだが、あちらで買い物をする分には使いでのある額でもあった。

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