= サン・ロレンツォ教会 =

firenze15.jpgメディチ家の菩提寺であるサン・ロレンツォ教会は、ジョヴァンイ・ディ・ビッチがブルネレスキに設計を依頼したものです。ファサードはミケランジェロの設計案が残されているものの、未完のままです。中はこのファサードからは想像できない洗練されたもの。

map-firenze3.gifこの図のように教会の建物は1つなんですが、見学する上で2つに分かれています。2003年に行ったときはサン・ロレンツォ教会は内部で撮影できたのですが、2007年に行ったら撮影禁止になっていました。シクシク(;_;) そんなわけで、以前撮った写真をもう少し大きくしてみようと思います。

サン・ロレンツォ教会

サン・ロレンツォ教会内部。色は白とグレーがメインで抑えた色彩です。なので天井の金色が目立ちます。ところどころにメディチ家の紋章。

メディチ家紋章

【左】天井にあるメディチ家の紋章。カブトムシじゃありません(^_^;)、【右】主祭壇。落ち着いた色合いなのですが、手前の祭壇は大理石で描いたすばらしい細工の絵があります。実際はこの写真よりずっと色鮮やかです。【下】。

サン・ロレンツォ教会 祭壇
firenze19.jpgfirenze18.jpg

【左】天井ドーム、【右】ドナテッロの説教壇

firenze23.jpg

フィリッポ・リッピの受胎告知。受胎告知は人気のある画題だったらしく、ウフィッツィ美術館でも色々な受胎告知が見られます。違いが面白いのでぜひご覧になってみて下さい。

= メディチ家礼拝堂 =

firenze65.jpg新聖具室に納められたミケランジェロの彫刻は、まさに死者へ手向けられた静謐さに満ちています。鬱々とした感じは当時の情勢を反映しているとか。ここも残念ながら内部撮影禁止。

medici_tomb1.jpgmedici_tomb2.jpg

【左】ロレンツォ・イル・マニフィコの息子であるヌムール公ジュリアーノの墓。男性像が「昼」、女性像が「夜」と呼ばれています。【右】ロレンツォ・イル・マニフィコの孫であるウルビーノ公ロレンツォの墓。男性像が「黄昏」、女性像が「曙」と呼ばれています。どちらも非常にけだるい雰囲気が漂っています。(上の写真はWeb Gallery of Artからいただいたもの)

ところでヌムール公ジュリアーノって誰?ウルビーノ公ロレンツォって誰?って思いませんか? なぜミケランジェロがコジモやロレンツォ・イル・マニフィコやレオ10世など有名処ではなく彼らを彫ったのかというと、それには政治的な理由がありました。それは時の教皇クレメンス7世が、ヌムール公とウルビーノ公の後継者となった二人の少年の立場を社会的に後押ししようとした為とのこと。

firenze66.jpgサン・ロレンツォ教会からメディチ家礼拝堂側に歩いていくと、教会の壁際に女性の彫刻がひっそりと置かれているのに気づくでしょう。あるいは見逃してしまうかもしれません。この女性はアンナ・マリア・ルイーザ。メディチ家最後の継承者です。どうして彼女が最後になってしまったかというと、メディチ家の末期の継承者に"女性が好きじゃない人"が続いたからでした。そして彼女自身は夫から性病を移されて、子どもが望めない体になってしまったのでした。

彼女の遺言でメディチ家の財産はロートリンゲン家の新大公に譲られたのですが、その条件に「これらは市民の財産であり、譲渡したりよそへ持ち出されてはならない」というものがありました。私たちが今フィレンツェで美術品を拝めるのはそのおかげ。

= ラウレンツィアーナ図書館 =

ラウレンツィアーナ図書館ラウレンツィアーナ図書館はミケランジェロが設計した図書館で、入口はサン・ロレンツォ教会と隣り合っています。ここも残念ながら内部撮影禁止です。設計はミケですが、図書館の実際の建築は別の人がやっています。

流れるような階段のライン、内部のイスの側面の彫刻の細かさ、天井の彫刻など美しい図書館です。奥の方では本の展示をしていて、昔の本は美術品だったんだなぁと思います。


ミケランジェロ広場/サン・ミニアート・アルモンテ教会→

copyright (c) うーさん